ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

小説『どこにでもいる』

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「まったく、おしゃべり婆さんだよ!」

 
姑が不愉快そうに言った。
向こう隣のGさんの奥さんだ。
ことの発端は家族のなにげない会話。

 
「今日バスに乗ったらGさんの奥さんがいたよ」

「おや、昨日も駅のバス停で近所の奥さんとしゃべっていた」

「この間も歩いてたら、目の前にいて『あらこんにちは』って」

「どこにでもいるねえ」

どこにでもいる。そして、近所の人と話している。

「おしゃべり婆さん家にジッとしていられないんだ」

「人のことをなにかウワサしているに違いない」
 
 
姑はそんなこんなが気に入らない。
そういう姑もご近所一番の早耳なのだが、最近は体調が許さず、いつもキョロキョロという訳にはいかなくなった。
主役交代というワケだ。

それにしても。

Gさんの家はむかし商売をやっていた。ご主人が脳梗塞で倒れ、その後は店をたたんでしまった。
ご主人は長くリハビリをしていた。近所を杖をついて歩き回り、たまに道端で奥さんと言い争いをしていた。後遺症でろれつが回らないGさんのご主人の大声が近所に響き、Gさんの奥さんは世間体が悪いとますますいやがった。
そのご主人も数年前に亡くなり、奥さんは今は息子夫婦と孫たちとともに暮らしている。


「またあのお婆さんがいたよ」


お墓参りの帰りの車中、姑が『全く困ったもんだ』というふうにまた言った。

 
「そりゃあ、いるだろう。ヒマなんだよ」

 
息子が返した。

 
「ちょっとおかしいんじゃないの?」

「ただ散歩してるだけだろ。何がおかしいんだよ」

 
子どものころからGさんの奥さんを知っている息子は、そういう母親こそおかしいと言った。

 
「末の娘はまだ家にいるの?」

「ううん、お嫁に行った」

「Mちゃんがようやく結婚して家を出て、今はお嫁さんが台所をやっているから、何もすることがないのよ」

「ヒマなんだろ」

「それにしてもねえ、なんだか、どこにでもいるのよ」

「そんなワケないだろ」

ドッペルゲンガーじゃあるまいし」

 
息子が笑って返した。


家に近づいてきた。車はユーターンするために、近所の大きな病院の救急外来のタクシー乗り場に頭を突っ込んだ。
 
 
「あぶない!」

 
その時、人が目の前を横切った。


「あらやだ、あの人なんでここにいるの?」

 
姑がキツネにつままれたような顔で言った。
ボンネットの先にGさんの奥さんが呆然と立っていた。
息子はギョッとしてじっと前方を見ていた。
Gさんの奥さんは当惑したような顔で立っていた。

 
『ワタシ何でここにいるんでしょう?』

『だれか教えて』
 
 
 
 
 
( photo by  工藤隆蔵 )