ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

小説『ほねおり』

お題「ゆっくり見たい映画」

 

「Sさん、妙な話なんだ」

支配人は困ったような顔をしてS氏を呼び止めた。

「映画を一本上映してくれってんだが」

「いいっすよ」

「その村が、地図を見てもない」

何でも昼前一本の電話がかかってきて、山奥の村で映画を上映して欲しいってことで、

日時と場所を聞いて、お値段は大体こんぐらいですよって言ったら、

「お骨折りには報います」

と、来たもんだ。

随分と古風な口を聞くその電話は、はたりと切れた。

「どうしたもんかね、Sさん」

どうしたもこうしたも、サービス精神旺盛なS氏が、これを断るはずがない。早速話は決まり、

次の日、助手を伴って出かけることになった。

その日帰宅したS氏、奥さんにこの話をした。すると勘の強い奥さんは

「あの辺は山が深いから…」

と暗い顔をした。

S氏は(まあ、奥さんが反対したがるのはいつものことだ)と思い寝てしまった。

 

次の日の早朝、S氏と助手は軽トラックにフィルムと機材を積み込み出発した。

「場所分かるか?」

出発してすぐにハンドルを握るS氏が聞いた。助手は地図を見ながら頼りなさそうに首を振った。

それもそのはず、目指す村は、近くまでは行けても深部は誰も知らない、と言った場所だった。

S氏と助手は、最初こそ雑談をしていたが、そのうちネタも尽き、黙りこくったまま山道をひた走った。

走りに走って、かなり遠くまで来た。里のはずれのお地蔵さんを最後に、人工物は全く見なくなった。

道路も未舗装。材木業者が作ったらしい、轍がわずかに着いた砂利道だ。タイヤが砂利をはね飛ばす音が、

雨粒のように車の底をたたく。そんな道が、さっきから二時間も続いている。しかし行けども行けども

どこかにたどり着く気配がない。山はどんどん深くなるばかりだ。

S氏はカメラが好きで、この辺りまで撮影に来たことがある。人が足を踏み入れない山奥には、

息をのむような美しい場所がある。だがその正確な位置は分からない。もちろん地図には載っていないし、

もう一度同じ所に行こうとしても、なかなか見つけられない。

しかし、三方を山に囲まれた盆地で育ったS氏はたかを括っていた。

(見慣れた山だ、何とかなるだろう)

 

とうとう道路がなくなった。仕方なく車を降り、機材を担いで藪の中に分け入った。

数十分の藪こぎが、重い機材を担ぐ身には何時間にも思えた。

(これは奥さんの言うとおり辞めときゃよかったかな?もうここで諦めるか…?)

とS氏が思った瞬間、急に藪が開け、小さな広場が目の前に現れた。

 

人気はなかったが、整地された道路と遠くに家が数軒見えた。

S氏と助手はホッと胸をなで下ろし、家の方にソロソロと歩を進めた。

大きな農家の前で、村人が数人待っていた。良くおいでくださいました、どうぞどうぞと招き入れられ、

二人は大歓迎を受けた。

広い座敷にスクリーンを貼り、即席の映画館が出来上がった。村人は続々と集まり、満員御礼となった。

いよいよ上映会が始まった。

 

観客は歓声をあげたりため息をついたり、大いに盛り上がっている。

S氏は出張上映が好きだった。映画館などない田舎の人々に喜んでもらえるし、上映後は大体いつも宴会になる。

上手くすると、映画の代金以外にお銭も貰えることがある。

いつも薄給でやり繰りしてくれる奥さんに持って帰って喜ばせようと思うのだが、たいがい助手と飲んでしまって、

財布は空っぽになる。

お金はS氏の懐にジッとしていられない性分のようだ。

 

ところが、ひとりいい気持ちになっているS氏をよそに、助手がさっきから青白い顔をしてモジモジしている。

「おい、ここは見てるから厠行ってこいや」

「小便じゃないです…、Sさん、帰りましょう」

助手はようやく声を絞り出した。

「なに言ってんだ、まだ始まったばかりじゃないか」

助手は脂汗をかいている。

「あれ、見てください」

助手は震える指で、客席の一人の人物を指さした。

そこにいたのは、和服姿のお婆さんだった。ちょっと古風な感じに髪を結い上げ、これまた古い型の着物を着込んでいる。

「あのお婆さんが?」

「ヒトじゃない」

「バカ言え、ちゃんとお婆さんじゃないか」

「よーく見てください」

S氏はよーく見てみた。

お婆さんは、着物を着て、髪を古風に結っていた。

(田舎のお婆さんってのは、こう言うもんさ。年に数回しかないこう言った宴会には、

行李に仕舞ってあるかび臭い晴れ着を引っ張り出してきてめかし込むんだ。たまにしか着ないから、

着物が着崩れているのは仕方がない。髪を結うったってザックリしたもんよ、床屋があるわけじゃなし、

自分で結いあげたんだろう。後毛から背中にかけて、茶色い毛がゴワゴワと伸びている?それに、

鼻は人間にしては尖って茶色いし、目はくりくりとして、まるで…、)

「古狸だー!」

S氏と助手は叫ぶが早いか、なんだなんだと騒めく村人たちを後目に、脱兎の如く家を飛び出した。

 

二人とも駆けに駆けた。中学の運動会以来の走りっぷりだ。くだんの広場を通り越し、藪が見えた。

薄暗く不気味に絡み合った草木が手招きしているように見える。が、二人は躊躇なくそこに飛び込んだ。

引き返すよりマシだ。ここを走り切れば車まであと少しだ。S氏も助手も何度も転んだ。転ぶたび、

何かに足を引っ張られたような感じがして悲鳴を上げた。服はズタズタに切れた。S氏が、足の踵を木の根っこのような

硬いものに打ちつけた時、耳にはっきり「ボキリ!」と言う音が聞こえた。

何とか藪を抜け、車までたどり着き、アクセルを踏んだ時、踵に鋭い痛みが走った。

二人は恐怖で口が聞けなかった。

里の灯がようやく遠くにチロチロと見え始め、民家が近づくと、S氏が助手に言った。

「今夜のことは誰にも言うなよ」

 

S氏も、聞いたことはあった。

「居るらしいよ」

「山深くでは気をつけないとバカされる」

夏は農業に従事し、冬田んぼが分厚い雪に覆われると、その時期だけ、猟犬を連れ、鉄砲を持って山に入る人たちがいる。

そういう人たちの不思議な体験を、人伝えに聞いたことはある。しかし、猟師ならいざ知らず、町っこのS氏が

そんな体験をするとは、自分でも信じられなかった。しかも、今や映画全盛期の時代だ。そんな昔話など、数十年前に

とっくに廃れてしまったはずではなかったか?

 

S氏は助手を下宿先まで送り、深夜に自分もようやく家にたどり着いた。

ホッとした瞬間、大変なことを思い出した。大事なフィルムと機材を置いてきてしまったのだ。おまけに上映代金も未回収だ。

「回収ったって、タヌキだぞ!」

支配人に何と説明したら良いだろう?頭がオカシいと言われるに決まっている。おまけに足までズキズキと痛んできた。

「ああ、痛い、ああ、困った」

これだけの心労と疲労と苦痛を抱えながら、S氏は布団に入るなり泥のように眠ってしまった。

 

次の日の朝、服はズタズタに切れているは、夫は怪我をしているはで、奥さんは心底ビックリした。

心配し、何だかんだと詮索し、黙っている夫に怒り心頭の奥さんを置いて、S氏は早々に家を出た。

医者に寄り、「剥離骨折」と診断され、足をグルグル巻きにされ、松葉杖を突いて出社した。

文字通り頭を抱え、痛い足を引きずって満身創痍の様子で映画館にたどり着いた。

(支配人とは顔を合わせたくない)

と、事務所を恐る恐る覗くと、狭い部屋が、いつになく多勢の人であふれかえっている。従業員全員が出社しているらしい。驚くことには社長まで来ている。

(こりゃあ、社長直々に解雇通告をされるのかな?それにこんな多勢が、俺の首をみんなで見物でもしようってんだろうか?)

とS氏が戦々恐々としていると、

「高峰◯子と上原◯が来るのよ!」

と、いつも無表情な事務員が、S氏の惨状には目もくれず、興奮気味に耳打ちした。

(あの銀幕のスターが?この小さな映画館に?まさか)

にわかには信じがたかった。

 

しかし、スター一行は本当にやって来た。

田舎の小さな駅から映画館まで、当代きっての映画スターを一目見ようとする町の人々で、すき間なく埋め尽くされた道路を、押し合いへし合いしながらやって来た。

そして、上映中だった出演作品の舞台挨拶を立派に勤めた。

 

スター一行が帰って行った後、社長が社員たちに語ったところによると。

「奥山で撮影をしてて道に迷ったらしい。何でも、忽然と現れたお婆さんに下山道を教えてもらって、

ようやく降りてこられた。で、降りて来たところに、うちの映画館の看板があったんだとさ。

まあ、無事に帰って来れてお礼参りにちょうどいいと言うことで、当映画館に来てくれたわけだ。

奇遇なこともあったもんだ」

 

町の小さな映画館は、銀幕のスターが訪れたことで有名になり、大いに繁盛した。

機材やフィルムの損失を補って余りあるほどに。

 

 

 

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