ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

空は碧いという けれども私はいう事が出来る 空はキメが細かいと

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photo Rain Drop
 
 
 
 
私は彫刻家である。
多分そのせいであろうが、私にとってこの世界は触覚である。
触覚はいちばん幼稚な感覚だと言われているが、
しかもそれだからいちばん根源的なものであると言える。
彫刻はいちばん根源的な芸術である。


人は五官というが、私には五官の境界がはっきりしない。

空は碧いという。けれども私はいう事が出来る。空はキメが細かいと。
 
秋の雲は白いという。白いには違いないが、

同時に、其はいちょうの木材を斜に削った光沢があり、

春の綿雲の、木曾の檜(ひのき)の板目とはまるで違う。

 
考えてみると、色彩が触覚なのは当りまえである。
光波の震動が網膜を刺戟するのは純粋に運動の原理によるのであろう。
 
 
 
 
 
今週のお題「わたしの課外活動」本日は秋晴れ列島だそうです。
 
 
 
 
 

 

 

 

 

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萩原朔太郎『閑雅な食慾』

今週のお題「わたしの課外活動」
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工藤隆蔵




松林の中を歩いて

 

あかるい氣分の 珈琲店(かふえ)をみた

 

遠く市街を離れたところで

 

だれも訪づれてくるひとさへなく

 

松間の かくされた 追憶の 夢の中の 珈琲店である。

 

をとめは戀戀の羞をふくんで

 

あけぼののやうに爽快な別製の皿を運んでくる仕組

 

私はゆつたりとふぉーくを取つて

 

おむれつ ふらいの類を喰べた

 

空には白い雲がうかんで

 

たいそう閑雅な食慾である。




 
 
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Caroline
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

『饗宴』宮沢賢治

今週のお題「わたしの課外活動」

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ya-itt
 
 
 
 
 

ひとびと酸き胡瓜を噛み

やゝに濁れる黄の酒の

陶の小盃に往復せり

そは今日賦役に出でざりし家々より

権左エ門が集め来しなれ

まこと権左エ門の眼双に赤きは

尚褐玻璃の老眼鏡をかけたるごとく

立つて宰領するこの家のあるじ

熊氏の面はひげに充てり

榾のけむりは稲いちめんにひろがり

雨は滔々と青き穂並にうち注げり

われはさながらわれにもあらず

稲の品種をもの云へば

或いはペルシャにあるこゝちなり

この感じ多く耐へざる

背椎の労作の後に来り

しばしば数日の病を約す

 

げにかしこにはいくたび

赤き砂利をになひける

面むくみしつ弱き子の

人人の背後なる板の間に座りて

素麺をこそ食めるなる

その赤砂利を盛れる土橋は

楢また檜の暗き林を負ひて

ひとしく雨に打たれたれど

ほだのけむりははやもそこに這へるなり

 







巡礼者

今週のお題「わたしの課外活動」

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jurek d.
 
 
 
秋は巡礼の季節ですね。
 
 
山岳信仰が盛んな山々が見下ろす盆地で生まれ育ちました。(それとは関係なく、幼い頃は教会に通っていました)
故郷を遠く離れ、懐かしさから山行を始めました。
長野県と富山県の県境の山に登った時、「こんな場所に」と
驚くような山のてっぺんに、お社がひっそりと鎮座していました。
ただひたすら登るしかない、がれ場続きの険しい山です。頂上は畳1畳ほどの広さで小さな祠がありました。
そこは御霊山なのでした。
高齢の宮司が毎日ここまで礼拝に来ると聞き驚きました。お祓いのために登ってくる登山者もいて、お参りをする時はそこに跪きます。
(ちょっとバランスを崩すと、頭から真っ逆さまに落っこちそうだな、どちらかの県になどと不謹慎なことを想像していたせいか、下山するまでひどい頭痛に苛まれました。
 
 
 
父がまだ生きていた頃、
『東北出羽三山霊場巡りの旅』というツアーに申し込みました。
知れると怒るので内緒で。病気快癒祈願のお札を手に入れるためでした。
かつての見慣れた山々がそこにありました。子どもの時は、山で修験者に出会ってはいけないと脅かされていたので、若い広報係の男性が、あの格好で「どうもですー」と出てきた時には、笑ってしまいました。
祈祷の内容は他言無用なので書くことはできません。
ただ長い歳月の隔たりと、故郷へのわだかまりが最後まで解けず、信仰心はすでに失せ、効果はあまりなかったようです。
 
 
 
もう一つは父が亡くなってから、居ても立ってもいられずに行った長崎です。
個人旅行で一人旅でした。市内の聖所はもちろん原爆資料館も行きました。
圧巻は外海(そとめ)地区、遠藤周作の小説『沈黙』の舞台になった場所です。
そしてもう一度長崎の五島列島へ、教会巡りの旅に行きました。
今度は天草に、と思っていて未だ叶わずにいます。
 
 
サンティアゴ・デ・コンポステーラに行かずとも、
自分はそう言えば、巡礼らしきことをしたことがあったなあ…、という覚え書きです。
 
 
 
 
 

youtu.be

 ♪ エンヤ 『巡礼者』

 

 

 

 

 

 

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おばあさんガンバれ

今週のお題「理想の老後」

 

さいきん自転車に乗っていて、そのまま横に倒れました。
過去には、自転車をこぎながら夕陽を見ていて、電信柱に正面激突した、ということはあった。そして家族に「そんな人いない」と責められ、「夕陽が見事だったから」と答えるしかなかった。
そういうアホさは元々自覚していたが、今回はそれとは違うヤバさである。
ふわ〜っと横に崩れ、自転車の重さを支え切れず倒れた。つまりはトロくなったということだ。
 




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GATAG



若ければ自己嫌悪を感じたでしょうが。
今は違います。そんな自分を受け入れようと思いますよ。
今までこれが足りなかった。
もなく急がされ急いでばかりの人生。もう急ぐ必要もない。
もちろん人様に迷惑かけちゃいけませんよ。自爆でよかった。メデタシメデタシ。


しかし、タイトルはそんな私にかけられた、天の声ならぬムスメのひと言。
 
 
◆﹅●◉〓▼■!!!」
と、抗議しましたところ、
 

「みたまんま」
 
・・・
・・・
 
 
あはははー……、
口の悪い。
誰に似たんだか…?
 
 
 


                 

『老いる楽しみ』リルケ

今週のお題「理想の老後」

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chat de Balkans
 


 


「今の世に思い出を持つ者があるだろうか。
幼いころの思い出があっても、
それは地中へ埋められてしまったようである。
思い出へ再びたどりつくためには、
たぶん年をとらなくてはならないだろう。
僕は老いることを楽しいことのように考える」




『マルテの手記』リルケ


 
“老いる”ことをあまり良いこととは考えない社会です。
しかし文学の世界には、
そのような現代的な価値観とは一線を画す考え方もあるようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ミスター・ホームズ

今週のお題「理想の老後」

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シャーロック・ホームズは引退後どのように暮らしたのだろう?
ミステリー好きなら気になるところだ。

今まで通り家事一切を任せるために、

ハドソン夫人を連れベーカー街を後にし
風光明媚な田舎町に転居する。

老後にとっておいた研究と著作に日夜没頭し、
空いた時間は趣味の養蜂を営む。優雅な日々。
 
 
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しかし、そうは問屋が卸さない。

頼みの綱のハドソン夫人は、台所で倒れ腰と顎を骨折、
それが元で肺炎であっけなく逝ってしまう。
親友ジョン、兄マイクロフトも後を追うように世を去る。

取り残された老人ひとり。
 
 
 
 
仕事は出来る。出来る男だった。
親友の冒険小説のせいで、
虚像が大衆のイメージに定着してしまったが。
 
 
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実際の彼は……?



イアン・マッケランの老け演技が素晴らしい。
美しい風景の中で、実在感を持って描かれるホームズの姿。



“人生は学び得なかったことをその後半に突きつけてくる”


ものなのかもしれませんね。