『詩について語らず』高村光太郎
元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、
一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず、
実はそれが果して人のいう詩と同じものであるかどうかさえ
今では自己に向って確言出来ないとも思える時があります。
…
私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を
言語造型によって放電せざるを得ない衝動をうけるのです。
このものは彫刻絵画の本質とは全く違った方向の本質を持っていて、
現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だろうと考えますが、
…
実は言語の持つ意味が邪魔になって、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。
バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思うのです。
(本文編集あり)
詩人は霊性の避雷針。
そして詠誦は電気的な行為なのでしょうね。