『秋の夢』芥川龍之介
おれは日比谷公園を歩いてゐた。
…思はず足を止めた。
行く手には二人の男が、静に竹箒を動かしながら、路上に明るく散り乱れた
鈴掛の落葉を掃いてゐる。
その鳥の巣のやうな髪と云ひ、殆んど肌も蔽はない薄墨色の破れ衣と云ひ、
或は又獣にも紛がひさうな手足の爪の長さと云ひ、云ふまでもなく二人とも、この公園の掃除をする人夫の類とは思はれない。
のみならず更に不思議な事には、おれが立つて見てゐる間に、何処からか
飛んで来た鴉が二三羽、
さつと大きな輪を描がくと、黙然と箒を使つてゐる二人の肩や頭の上へ、
先を争つて舞ひ下がつた。
が、二人は依然として、砂上に秋を撒き散らした鈴掛の落葉を掃いてゐる。
おれはおもむろに踵を返して、火の消えた葉巻をくはへながら、寂しい鈴掛の間の路を元来た方へ歩き出した。
が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時か静な悦びが
しつとりと薄明るく溢れてゐた。
あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。
寒山拾得は生きてゐる。
永劫の流転を閲みしながらも、今日猶この公園の鈴掛の落葉を掻いてゐる。
あの二人が生きてゐる限り、懐しい古東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。
売文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。
おれは籐の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、鈴掛の葉ばかり
きらびやかな日比谷公園の門を出た。
「寒山拾得は生きてゐる」と、口の内に独り呟ぶやきながら。
(『東洋の秋』芥川龍之介 一部編集あり)
鈴掛(プラタナス)
歳をとったこの樹は、秋になり葉を落とすと実に異様な姿です。これをして、
売文生活に疲れた病的心情の著者に、寒山拾得の夢を見せたのでしょうか。
それとも、永劫の流転を閲みしながら目の前に存在する神秘に、
わたしが気がつかないだけでしょうか?
物乞いの姿で寺の下働きをする寒山と拾得。
実はふたりは菩薩であった、という中国の故事。
今週のお題「わたしの課外活動」