ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

夏目漱石『野分』

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「近頃は喜劇の面(めん)をどこかへ遺失(おと)してしまった」

 

 

「…何だか不景気な顔をしているね。どうかしたかい」

 

 

と友人に問われて。

 

 

「また新橋の先まで探しに行って、拳突(けんつく)を喰ったんじゃないか。

つまらない」

 

「新橋どころか、世界中探してあるいても落ちていそうもない。

もう、やめだ」

 
 
 
 


野分:秋から初冬にかけて吹く、主として台風による暴風のことで、「のわけ」ともいう。
 

 

 

 

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ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」










佐藤春夫『秋刀魚の歌』

 

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あはれ

秋風よ

情(こころ)あらば伝へてよ

――男ありて

今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり

さんまを食(くら)ひて

思ひにふける と。

 

さんま、さんま

そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す)をしたたらせて

さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

そのならひをあやしみなつかしみて女は

いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。

 

 

あはれ

秋風よ

情(こころ)あらば伝へてよ

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児とに伝へてよ

――男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

涙をながす と。

 

さんま、さんま、

さんま苦いか塩つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし。


 

 
 
 
 
 
 
 
 

 


 
 
 
 
 
 
 
 

『秋』萩原朔太郎

 
 

白雲のゆききもしげき山の端に

 

旅びとの群はせはしなく

 

その脚もとの流水も

 

しんしんめんめんと流れたり

 

ひそかに草に手をあてて

 

すぎ去るものをうれひいづ

 

わがつむ花は時無草の白きなれども

 

花びらに光なく

 

見よや空には銀いろのつめたさひろごれり

 

あはれはるかなる湖(うみ)のこころもて

 

燕雀のうたごゑも消えゆくころほひ

 

わが身を草木の影によこたへしに

 

さやかなる野分吹き來りて

 

やさしくも、かの高きよりくすぐれり


 
 
 
 
 
 





 



高村光太郎『晩餐』

 

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Taidoh
 
 
 
 
 

暴風(しけ)をくらつた土砂ぶりの中を

 

ぬれ鼠になつて

 

買つた米が一升

 

二十四銭五厘だ

 

くさやの干ものを五枚

 

沢庵を一本

 

生姜の赤漬け

 

玉子は鳥屋(とや)から

 

海苔は鋼鉄をうちのべたやうな奴

 

薩摩あげ

 

かつをの塩辛(しほから)

 

湯をたぎらして

 

餓鬼道のやうに喰らふ我等の晩餐

 






困窮生活を送っていた、高村光太郎智恵子夫妻。
久々にありつく食事の何とも旨そうな描写です。
 
卵かけご飯にたまり醤油を垂らして、かっ込みたくなりますねー。笑 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

中原中也『曇った秋』

あのやうにゆつたりと今宵ひとよを

 

鳴いてあかさうといふのであれば

 

さぞや緊密な心を抱いて

 

猫は生存してゐるのであらう……

 

 

あのやうに悲しげに憧れに充ちて

 

今宵ああして鳴いてゐるのであれば

 

なんだか私の生きてゐるといふことも

 

まんざら無意味ではなささうに思へる……

 

 

 

 

 

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 今週のお題「詩人のための秋」

 

 

 

 

 

 

『秋の日』萩原朔太郎

今週のお題「散策の秋」

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ちまた、ちまたを歩むとも

 

ちまた、ちまたに散らばへる

 

秋の光をいかにせむ

 

たそがれどきの差し含(さしぐ)める

 

我が愁(うれひ)をばいかにせむ

 

 

捨身に思ふ我が身こそ

 

びいどろ造りと成りてまし

 

うすき女の移り香も

 

今朝の野分に吹き散りて

 

水は涼しく流れたり

 

薄荷(はっか) に似たるうす涙

 

 

 

 






差し含む(さしぐむ) 涙が湧いてくる。


萩原朔太郎『秋日行語』(編集あり)
 



 

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『秋の夢』芥川龍之介

おれは日比谷公園を歩いてゐた。

 

…思はず足を止めた。

 

行く手には二人の男が、静に竹箒を動かしながら、路上に明るく散り乱れた

鈴掛の落葉を掃いてゐる。

 

 

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その鳥の巣のやうな髪と云ひ、殆んど肌も蔽はない薄墨色の破れ衣と云ひ、

 

或は又獣にも紛がひさうな手足の爪の長さと云ひ、云ふまでもなく二人とも、この公園の掃除をする人夫の類とは思はれない。

 

 

のみならず更に不思議な事には、おれが立つて見てゐる間に、何処からか

飛んで来た鴉が二三羽、

 

さつと大きな輪を描がくと、黙然と箒を使つてゐる二人の肩や頭の上へ、

先を争つて舞ひ下がつた。

 

が、二人は依然として、砂上に秋を撒き散らした鈴掛の落葉を掃いてゐる。

 

おれはおもむろに踵を返して、火の消えた葉巻をくはへながら、寂しい鈴掛の間の路を元来た方へ歩き出した。

 

が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時か静な悦びが

しつとりと薄明るく溢れてゐた。

 

 

あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。

寒山拾得は生きてゐる。

 

永劫の流転を閲みしながらも、今日猶この公園の鈴掛の落葉を掻いてゐる。

 

あの二人が生きてゐる限り、懐しい古東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。

 

売文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。

 

おれは籐の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、鈴掛の葉ばかり

きらびやかな日比谷公園の門を出た。

 

寒山拾得は生きてゐる」と、口の内に独り呟ぶやきながら。

 

 

(『東洋の秋』芥川龍之介 一部編集あり)

 

 

 

 

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鈴掛(プラタナス

歳をとったこの樹は、秋になり葉を落とすと実に異様な姿です。これをして、

売文生活に疲れた病的心情の著者に、寒山拾得の夢を見せたのでしょうか。

それとも、永劫の流転を閲みしながら目の前に存在する神秘に、

わたしが気がつかないだけでしょうか?

 

 

 

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寒山拾得

物乞いの姿で寺の下働きをする寒山と拾得。

実はふたりは菩薩であった、という中国の故事。

森鴎外の『寒山拾得』はこれをモチーフとした小説

 

 

 

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 今週のお題「わたしの課外活動」