空は碧いという けれども私はいう事が出来る 空はキメが細かいと
多分そのせいであろうが、私にとってこの世界は触覚である。
触覚はいちばん幼稚な感覚だと言われているが、
しかもそれだからいちばん根源的なものであると言える。
彫刻はいちばん根源的な芸術である。
人は五官というが、私には五官の境界がはっきりしない。
空は碧いという。けれども私はいう事が出来る。空はキメが細かいと。
同時に、其はいちょうの木材を斜に削った光沢があり、
春の綿雲の、木曾の檜(ひのき)の板目とはまるで違う。
光波の震動が網膜を刺戟するのは純粋に運動の原理によるのであろう。
『饗宴』宮沢賢治
今週のお題「わたしの課外活動」
ひとびと酸き胡瓜を噛み
やゝに濁れる黄の酒の
陶の小盃に往復せり
そは今日賦役に出でざりし家々より
権左エ門が集め来しなれ
まこと権左エ門の眼双に赤きは
尚褐玻璃の老眼鏡をかけたるごとく
立つて宰領するこの家のあるじ
熊氏の面はひげに充てり
榾のけむりは稲いちめんにひろがり
雨は滔々と青き穂並にうち注げり
われはさながらわれにもあらず
稲の品種をもの云へば
或いはペルシャにあるこゝちなり
この感じ多く耐へざる
背椎の労作の後に来り
しばしば数日の病を約す
げにかしこにはいくたび
赤き砂利をになひける
面むくみしつ弱き子の
人人の背後なる板の間に座りて
素麺をこそ食めるなる
その赤砂利を盛れる土橋は
楢また檜の暗き林を負ひて
ひとしく雨に打たれたれど
ほだのけむりははやもそこに這へるなり
『猫性』豊島与志雄
ところで、何故に猫か。
猫は飼養動物のうちで最も人間に近い生活をしている。屋内に人間と同居し、同じ食物をたべ、同じ寝具に眠る。にも拘らず、犬のような奴隷根性がない。
用があり、気が向けば、喉をならしてすり寄ってくるが、用がなく、気が向かなければ、呼んでも返事をせず、すましてそっぽを向いている。猫は人の顔色を読むと云われているが、往々、最もよく人の顔色を無視する。そして庭の隅や、縁側の片端や、机上などに、ただじっと蹲っていることがある。人に逢いたくなく、口を利きたくなく、一人で夢想しているのだ。そうした夢想の中に、肉食獣の野性の夢がある。猫のうちには、飼いならされない何物かが残っている。
それを、私は自分のこととして感ずる。人に逢いたくなく、口を利きたくなく、一人でじっとしている時、沈潜している情意は、道徳的な習慣的な世間的なものであって、その底に、何かしらむくむくとうごめく野性的なものが存在する。道徳や習慣に飼いならされない何物かだ。そしてその野性的な何物かのうちに最も多く芸術の萠芽がある。
(編集あり)