ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

『秋』萩原朔太郎

 
 

白雲のゆききもしげき山の端に

 

旅びとの群はせはしなく

 

その脚もとの流水も

 

しんしんめんめんと流れたり

 

ひそかに草に手をあてて

 

すぎ去るものをうれひいづ

 

わがつむ花は時無草の白きなれども

 

花びらに光なく

 

見よや空には銀いろのつめたさひろごれり

 

あはれはるかなる湖(うみ)のこころもて

 

燕雀のうたごゑも消えゆくころほひ

 

わが身を草木の影によこたへしに

 

さやかなる野分吹き來りて

 

やさしくも、かの高きよりくすぐれり


 
 
 
 
 
 





 



高村光太郎『晩餐』

 

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Taidoh
 
 
 
 
 

暴風(しけ)をくらつた土砂ぶりの中を

 

ぬれ鼠になつて

 

買つた米が一升

 

二十四銭五厘だ

 

くさやの干ものを五枚

 

沢庵を一本

 

生姜の赤漬け

 

玉子は鳥屋(とや)から

 

海苔は鋼鉄をうちのべたやうな奴

 

薩摩あげ

 

かつをの塩辛(しほから)

 

湯をたぎらして

 

餓鬼道のやうに喰らふ我等の晩餐

 






困窮生活を送っていた、高村光太郎智恵子夫妻。
久々にありつく食事の何とも旨そうな描写です。
 
卵かけご飯にたまり醤油を垂らして、かっ込みたくなりますねー。笑 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

中原中也『曇った秋』

あのやうにゆつたりと今宵ひとよを

 

鳴いてあかさうといふのであれば

 

さぞや緊密な心を抱いて

 

猫は生存してゐるのであらう……

 

 

あのやうに悲しげに憧れに充ちて

 

今宵ああして鳴いてゐるのであれば

 

なんだか私の生きてゐるといふことも

 

まんざら無意味ではなささうに思へる……

 

 

 

 

 

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 今週のお題「詩人のための秋」

 

 

 

 

 

 

『秋の日』萩原朔太郎

今週のお題「散策の秋」

イメージ 1
the dreamer (swades1986.blogspot.in)
 




ちまた、ちまたを歩むとも

 

ちまた、ちまたに散らばへる

 

秋の光をいかにせむ

 

たそがれどきの差し含(さしぐ)める

 

我が愁(うれひ)をばいかにせむ

 

 

捨身に思ふ我が身こそ

 

びいどろ造りと成りてまし

 

うすき女の移り香も

 

今朝の野分に吹き散りて

 

水は涼しく流れたり

 

薄荷(はっか) に似たるうす涙

 

 

 

 






差し含む(さしぐむ) 涙が湧いてくる。


萩原朔太郎『秋日行語』(編集あり)
 



 

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『メアリー・ライリー』

今週のお題「映画鑑賞の秋」

ティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』の二次創作です。
 
ビクトリア朝の使用人のひとりの女性(ハウスメイド)。彼女の生い立ち、仕事。
とりわけマスター(ご主人様=ジキル博士)とのプラトニックな関係を書き綴った日記。
 
という設定のフィクションです。作者は現代人。ヴァレリー・マーティン女史。
 
 
当時はあまり教育を受ける機会もなかった(文字を読み書きできなかった)
と思われていた、被支配者階級の使用人が書き残した手記などは実在する。
19世紀の虚飾なきところの支配者階級の姿、それを支えていた使用人達の仕事、
風俗などを知る上で、貴重な資料であるとともに、読み物としても面白く、
(連ドラみたい)イギリスではその書籍化が、ベストセラーになっている。
 
 

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『Mary Reilly』
 
 
小説『メアリー・ライリー』の映画化。
この映画は、素晴らしい!
そして最低です。
 
ビクトリア朝の研究者シャーロキアンに言わせると
当時の労働者階級の生活、風俗が非常に上手く表現されているそうです。
 
役者もいい。ジョン・マルコヴィッチ、演技は下手だけどイノセントの表現者としてはJ.R.も良しとしましょう。そしてグレン・クローズ
(彼女の悪役は凄みがあり一級品、男性はゾッとするようですが。笑)
 
 

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なのに、駄作。
文芸作品としてまとめれば良いものを、中途半端なスプラッタホラーにしてしまった。
最後のCGなどいらぬ!役者の演技だけで十分だ。
 
素晴らしい再現性も台無しっ!
 
な、作品です。
 
駄作を甘受する懐の大きな方。素晴らしい素材の上に乗っかった、
素晴らしく趣味の悪い何がしかをご堪能ください。
これこそ悪夢と言わざるを得ない。
 
 
 
『Mary Reilly』(邦題 ジキル&ハイド)1996年。(英語)
グロい表現があります。ご自身の責任でご覧ください。
 
 
 
 
 
 

『秋の夢』芥川龍之介

おれは日比谷公園を歩いてゐた。

 

…思はず足を止めた。

 

行く手には二人の男が、静に竹箒を動かしながら、路上に明るく散り乱れた

鈴掛の落葉を掃いてゐる。

 

 

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その鳥の巣のやうな髪と云ひ、殆んど肌も蔽はない薄墨色の破れ衣と云ひ、

 

或は又獣にも紛がひさうな手足の爪の長さと云ひ、云ふまでもなく二人とも、この公園の掃除をする人夫の類とは思はれない。

 

 

のみならず更に不思議な事には、おれが立つて見てゐる間に、何処からか

飛んで来た鴉が二三羽、

 

さつと大きな輪を描がくと、黙然と箒を使つてゐる二人の肩や頭の上へ、

先を争つて舞ひ下がつた。

 

が、二人は依然として、砂上に秋を撒き散らした鈴掛の落葉を掃いてゐる。

 

おれはおもむろに踵を返して、火の消えた葉巻をくはへながら、寂しい鈴掛の間の路を元来た方へ歩き出した。

 

が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時か静な悦びが

しつとりと薄明るく溢れてゐた。

 

 

あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。

寒山拾得は生きてゐる。

 

永劫の流転を閲みしながらも、今日猶この公園の鈴掛の落葉を掻いてゐる。

 

あの二人が生きてゐる限り、懐しい古東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。

 

売文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。

 

おれは籐の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、鈴掛の葉ばかり

きらびやかな日比谷公園の門を出た。

 

寒山拾得は生きてゐる」と、口の内に独り呟ぶやきながら。

 

 

(『東洋の秋』芥川龍之介 一部編集あり)

 

 

 

 

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鈴掛(プラタナス

歳をとったこの樹は、秋になり葉を落とすと実に異様な姿です。これをして、

売文生活に疲れた病的心情の著者に、寒山拾得の夢を見せたのでしょうか。

それとも、永劫の流転を閲みしながら目の前に存在する神秘に、

わたしが気がつかないだけでしょうか?

 

 

 

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寒山拾得

物乞いの姿で寺の下働きをする寒山と拾得。

実はふたりは菩薩であった、という中国の故事。

森鴎外の『寒山拾得』はこれをモチーフとした小説

 

 

 

www.aozora.gr.jp

 

 

 

 

 

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 今週のお題「わたしの課外活動」