ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

北大路魯山人『雑煮』

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David Z.
 
 
 
 

   いったいお雑煮は、子供の時分から食べ慣れた故郷の地方色あるやり方が、

いちばん趣味的で意義がある。
 かといって、強いてそうせねばならぬという理由はないのだから、各自の好みに任せてよい。
 
  わたしの経験からいうと、雑煮の中を賑々しくするためには、にんじんとか、だいこん、いもなどを入れる方がよいだろう。いもなども、原形のままの方が野趣があっておもしろい。なにか変わった趣を添えたいような場合には、いもに角目(かどめ)を立てて削るのも悪くない。が、あまり細工をせずに作る方がよいと思う。
 
  だしは普通のかつおぶしだけでとるか、あるいは昆布だしにするのもよろしい。
 さて、いちばん肝要なのは、餅の焼き方である。昔から狐(きつね)色に
焼くのを最上としておったようだが、ところどころ濃く、ところどころ狐色に
ちょうど鼈甲(べっこう)の斑(ふ)を思わせるように焼くのが理想的である。そして、餅の堅い、やわらかいの程度によって、火の加減をしないと、中身が堅いのに表面ばかり焦げたり、白くしなしなしてしまったりする。
 雑煮のコツは、餅の焼き方にあるといってよいと思う。また、不細工に大きな餅のはいっているのはおもしろくない。
 料理屋で出す小型マッチ箱ぐらいの大きさが、見た目の感じがよい。でも、客次第で餅の大きさも加減したらよい。若い者たちには多少体裁が不格好でも、大きいのを入れた方が歓迎されよう。出す相手と場合に応じて、それ相応のもてなしをすることは、単に雑煮だけにかぎらず、何事においても必須条件である。
 
  要するに、雑煮はあり合わせで、見つくろって出せばよいのだ、ということを会得していただければ結構なのである。(編集あり)





昨日一月十一日は鏡開きでした。
魯山人の匠な文章には舌を巻きつつ唾が出ます。
お汁粉も美味しいですが、雑煮にして楽しむのもまた良いですね。