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言葉を味わう 文学の楽しみ

『柘榴の花』三好達治

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 万物の蒼々たる中に柘榴の花のかつと赤く咲きでたのを見ると、毎年のことだが、私はいつも一種名状のしがたい感銘を覚える。
近頃年齢を重ねるに従つて、草木の花といふ花、みな深紅のものに最も眼をそばだて愛着を感ずるやうに覚えるが、これはどういふ訳であらう。
その深紅のものの燃上るやうなものといふ中でも、柘榴(ざくろ)の朱はまた格別の趣きがあつて、路傍などでこの花を見かけて眼を驚かせるその心持の中には、何か直接な生命の喜びとでもいふやうなものが、ともすればふさぎ勝ちな前後の気持を押のけて、独自の逼(せま)り方で強く胸に逼つてくるのを私は覚える。
それは眼を驚かせるといふよりも、直接心を驚かせるやうな色彩である。それは強烈でまた単純でありながら、何か精神的な高貴な性質を帯びた、あの艶やかな朱である。柘榴の花の場合にはその艶やかな朱が、ぽつんぽつんとまるで絞出し絵具を唯今しぼりだしたばかりのやうに、そのまた艶やかな緑葉の威勢よくむらがつた上に、点々と輝き出てゐるのであるから、その効果はまた一層引たつて、まるで音響でも発してゐるやうな工合に、人の心を奪つてしばらくはその上にとどめしめないではおかない、独占的な特殊な趣きがある。
 私は毎年この花をはじめて見るたびに、何か強烈な生命的な感銘を覚える…
何か圧縮された鮮明なしかしまた名状のしがたい感懐を覚えるのである。


いつもきまつて、初夏の来るごとに柘榴の花は私の心をせきたてる。いやこれはひとり、柘榴の花のみにかぎつたことではない、自然の繊細な美しさ、例へば山の端に落ちかかる三日月のやうなもの、或は林の小径で拾つた小鳥の羽、或はまた風にあがつて青空の中に見失はれてゆく蒲公英(たんぽぽ)の綿毛、さういふ軽微な微妙なものも、また重々しい大輪の日まはりの花や、はじめにのべた柘榴の花の強烈な色彩と同じく、私の心を促して一つの方角に駆りたてるやうに思はれる。


私にはいつも、自然は強大な或は繊細なあらゆる美の手段をつくして、沈滞する人の心をつねに眼ざめしめようと、人人の心に向つて不断に好機を捉へようとして待ちかまへてゐるもののやうにさへも思はれる。