ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

倉本聰氏への手紙

前略、倉本様。

私の答えは簡単ではありません。
それがイエスなのか、ノーなのか、自分でも分からなかったほどです。
しかし、
「子どものために死ねるか?」
倉本氏がそう言われた時に、私の心に浮かんだのは、長年の恐ろしい夢のことでした。
それは、親なら誰でも持つ“恐怖”を具現化したものです。
『子どもがいなくなる』という夢です。
「なんだ、そんなことか。」
と言われるかもしれません。
子どもを持つ人でも、そう思うかもしれません。
「そんなことは現実には起きえない。」
「考え過ぎなんじゃないの?」
そう言われても当然です。
しかし、そうとは分かっていても、私の夢は訪れました。
明け方に見る夢。
子どもがまだ、幼いときです。
毎回、何らかの方法で、子どもがいなくなるのです。
その内容は、私の野方図な想像力が作り出すフィクションではありましたが、
リアルで多岐に渡り、容赦なく執拗に私を責め続けました。
私は毎回、恐怖と絶望感に苛まれ、魂を痛めつけられ尽くして目を覚まします。
全身にビッショリと汗をかいて。

現実に、隣に眠る子どもを感じ、
「そう、そんなワケはない。」
「またバカな夢を見てしまった。」
「それにしても、またなんだってこんな夢を?」
つかの間の安堵に浸りながら、浅い眠りを貪りました。
しかし、そう思う間もなく、早晩また同じ夢を見てしまいました。

これはもう、病気です。

というのも、私は、子どもを手元に置きながら、子どもの心がそこにはなかったからだと、今にして思い当たります。

幸い、現在はその夢を見なくなりました。


「子どものために死ねるか?」
倉本氏が先日TVでこう問いかけていました。
そして、YESと答えられる人がいないと、嘆いておられたと思います。
母親の端くれである私は、これに答える義務があると感じました。
そして、このように勝手に返信を書いた次第です。

草々