ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

小説『友情』

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 不思議な夢を見た。友人と映画を観ている時だ。
いや、結局のところ、独りで見た夢だった。
 
まったく別々な場所に生まれ、出会い友人になったわたしとA。
彼女は特異な育ち方をしていた。
幼いころ、あの蟻の町のゼノ修道士の幼稚園に通っていたそうだ。
彼女は頭脳明晰で勤勉、奉仕の精神に富み、大きな目を持つ。
特徴的な事には、肌がひどく荒れ症で、慢性気管支炎だった。
本人は肌荒れを気にし、あらゆる面皰の手当をしていたが治る事はなかった。
わたしはといえば、平凡な田舎町で生まれ育った平凡な子ども。ただ、
彼女との共通点は(後になって思えば)幼いころ教会に縁があるということ
だが、特段それが意味をなすとは、思ってもみなかったのだ。
 

映画館の前で、わたしはイライラとしていた。
約束の時間なのにAが来ない。今日は二人で映画を見るのだ。
娯楽の少ない田舎の町。女性が主役の映画で、二人とも楽しみにしていた。
もう映画が始まるという時、仕方なく席に座った。だがAはまだ現れない。
が気ではない。何かあったのだろうか?
わたしの懸念をよそに映画が始まってった。
真暗闇で、遅れて来たAがわたしを見つけられるとは思えない。
気になって話に集中できない。とうとう映画がクライマックスを
迎えた。その時、突然隣の席にAが座った。
 
「ごめん、出掛けようとしたら、目の前で子供が溝に落ちて。」

「ああ、そう。」

わたしは気のない返事をした。
一瞬カッとしたが、すぐに諦観が心を支配した。
もっともな理由があることは、疑いようもない。
 
『ああそうだろう。責任感の強いAが、怪我をした近所の子どもを放りおいて
映画に来れるはずがない。例えそれが親友との数少ない楽しみであっても。』
 
わたしはがっかりし、顔をAに向けず映画を観続けた。
しかし、心はまったく別なことを考えていた。なにか悟るものがあったのだ。
 
『こと映画に限った事ではない。わたしたちは道を別つ運命なのだ。』



いつの時代か判らない、暗い修道院。悲鳴のような泣き声が響く。

「たった今シスターが息をひきとりました」
 
誰かが言う。呆然自失のわたし。ベッドに横たわるA。白く美しかった肌は
病瘡に被われ、見るも無惨な姿だ。 
当時、恐ろしい伝染病がこの地方一帯に蔓延し、多くの人が亡くなった。
彼女は昼夜を分たず病人の看護を献身的に行ない、
自分も病魔に倒れてしまったのだ。
全身に粒状の病瘡が広がり、最後は呼吸器を冒され、苦しんで亡くなった。
優しく賢く美しかった一人の修道女の死に街中が泣いた。
そして修道女仲間にして親友であったわたしも、涙が涸れるまで泣いた。
が、まだ足りず、礼拝所に行き、ひざまずき、神をなじった。
 
「なぜ、慈愛にあふれた良き人に惨い死を与えられたのか?」
 
「わたしのような怠け者をお生かしになるのか?」

わたしは来る日も来る日も、神への怒りと失望を口にした。
そして何日目かの祈りの時、
Aの死以来、寝食もままならず昼も夜も悲しんでいたわたしは、
朦朧とし言葉を捻出する気力もなえ、神への非難の心も枯渇していた。
そして、心が空白になり自然に言葉が口からこぼれ出た。

「どうか……愚か者のわたしをお許しください」

『あわせてやろう』

声がした。
 
『愛しい友人に再び会わせてやろう』
 
『しかし、その友愛に期限を設けよう』

意味を問うと、

『他を愛せよ』
 
『自分たちを愛するように』

厳しい口調で結んだ。



映画が終わった。

 
真っ暗な場内から明るい外に出た。いつもの退屈な町並みが、
白々とした陽光にらし出されている。
 
「面白かったね」
 
とAが笑った。わたしもつられて笑った。
わたしの幻想も跡形もなく消え去った。
 
 
 
 
 
photo by Lizhi