ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

正岡子規『熊手と提灯』

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Hiroki  Nakamura





『…………熊手持って帰る人が頻(しき)りに目につくから、
どんな奴が熊手なんか買うか試みに人相を鑑定してやろうと思うて居ると、
向うから馬鹿に大きな熊手をさしあげて威張ってる奴がやって来た。
職人であろうか、しかし善く分らぬ。月が後から照して居るので顔ははっきり
見えぬが何でも慾ばって居るような人相だ。
こんな奴にはきっと福は来ないよ。身分不相応な大熊手を買うて見た処で、
いざ鎌倉という時に宝船の中から鼠の糞は落ちようと金が湧いて出る気遣いは
なしさ、
まさか大仏の簪(かんざし)にもならぬものを屑屋だって心よくは買うまい。…………』



鋭い観察眼と辛辣な描写が、夏目漱石と似ていますね。
しかし何かひょうひょうとして憎めないところがある。
熊手を大仏のかんざしとは、笑います。


次々と熊手を買ってくる客を観察していた筆者は、
遂に福を与うるにふさわしい、実直そうな豆屋の内儀を見出すのでした。
(豆屋も内儀も妄想)


『しかし大鷲(浅草鷲神社の神様)の意見と僕の意見と往々衝突するから
保証は出来ない』

と結びます。



ところで、
『本郷の金助町に何がしを訪うての帰り』と始まるこのエッセイ。

これは『本郷に住まう友人夏目金之助を訪ねての帰り』の暗喩でしょうか?

二人とも漢詩やさまざまの素養に富み、言葉遊び、シャレがきついので、
うっかりダマされます。