寺田寅彦『涼味』
中学時代に友人二三人と小舟をこいで浦戸湾内を遊び回った
ある日のことである。
昼食時に桂浜へ上がって、豆腐を二三丁買って来て醤油をかけて
むしゃむしゃ食った。
その豆腐が、たぶん井戸にでもつけてあったのであろう、
歯にしみるほど冷たかった。
炎天に舟をこぎ回って咽喉がかわいていたためか、
その豆腐が実に涼しさのかたまりのように思われた。
photo JURIANS
…「涼しさ」は…日本人だけの感じうる特殊な微妙な感覚ではないか
という気がする。
…日本という国土が気候学的、地理学的によほど特殊な位地にあるからである。
日本の本土はだいたいにおいて温帯に位していて、そうして細長い島国の両側に大海とその海流を控え、
陸上には脊梁山脈がそびえている。そうして欧米には無い特別のモンスーンの影響を受けている。
これだけの条件をそのままに全部具備した国土は日本のほかには
どこにもないはずである。
…「涼しさは暑さとつめたさとが適当なる時間的空間的週期をもって交代する時に生ずる感覚である」
…日本における上述の気候学的地理学的条件は、まさにかくのごとき
週期的変化の生成に最もふさわしいものだ…
義理人情の着物を脱ぎ捨て、毀誉褒貶(きよほうへん)の圏外へ飛び出せばこの世は涼しいにちがいない。
…
少なくも夏だけは「自由」の涼しさがほしいものである。
「風流」は心の風通しのよい自由さを意味する言葉で、また心の涼しさを現わす言葉である。…
風鈴の音の涼しさも、一つには風鈴が風に従って鳴る自由さから来る。…
暑さがなければ涼しさはない。窮屈な羈絆の暑さのない所には自由の涼しさもあるはずはない。
一日汗水たらして働いた後にのみ浴後の涼味の真諦が味わわれ、
義理人情で苦しんだ人にのみ自由の涼風が訪れるのである。
写真 工藤隆蔵
寺田寅彦 『涼味数題』 (編集あり)