『月見草』宮沢賢治
道が小さな橋にかゝる。
螢がプイと飛んで行く。
とにかくそらが少し明るくなった。
夜明けにはまだ途方もないしきっと雲が薄くなって月の光が透とほって来るのだ。
月見草が幻よりは少し明るくその辺一面浮んで咲いてゐる。
マッチがパッとすられ莨(たばこ)の青いけむりがほのかにながれる。
右手に山がまっくろにうかび出した。
その山に何の鳥だか沢山とまって睡(ねむ)ってゐるらしい。
けれども今は崇高な月光のなかに何かよそよそしいものが漂ひはじめた。
その成分こそはたしかによあけの白光らしい。
東がまばゆく白くなった。月は少しく興さめて緑の松の梢(こずゑ)に高くかかる。
雲が光って山山に垂れ冷たい奇麗な朝になった。
帰りみち、ひでり雨が降りまたかゞやかに霽(は)れる。
そのかゞやく雲の原今日こそ飛んであの雲を踏め。
『秋田街道』宮沢賢治