ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

織田作之助『夫婦善哉』

台詞の面白さと平易な文章で一気に読めます。

もと芸者の蝶子が苦労して貯めたお金を、せっせと飲み代に当てる夫柳吉
商売を始めても長続きせず、茶屋に入り浸りスッカラカンになるまで飲んでしまう。
そんな柳吉を連れ戻しては折檻し、そしてまたお金を持ち出されながらも、決して別れようとしない蝶子。当時の風俗も魅力的に描写されます。

柳吉をしばきたい衝動と闘いながら、泣き笑いしました。笑

言葉遣いが独特。『皆を語らず全てを現す』上方文学ここにありって感じです。
谷崎潤一郎の『細雪を思い出しました。



江戸風流にも通じるものがあります。話芸。落語の『芝浜』





談志は志ん朝の芝浜が一番だと言った



織田作之助は若くして亡くなったんですね。もったいない。

若いお兄ちゃんが、どうやってこんな話を書けたんでしょう?

桂春団治』のような伝説が、難波庶民の生活にふつうに息づいているんでしょうかね?




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《ぜんざいの語源・由来》

善哉は元仏教語で、「すばらしい」を意味するサンスクリット語の漢訳。
仏典では、仏が弟子の言葉に賛成賞賛の意を表するときに、「それで良い」
「実に良い」といった意味で用いた。
仏教語の「善哉」がお汁粉を意味するようになった由来は、これを食べた僧(一休禅師)が
あまりの美味しさに「善哉」と賞賛したためとされる。

また出雲大社の「神在祭」で振舞われた「神在餅(じんざいもち)」が、
「じんざい」が出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、さらには
「ぜんざい」となって、京都に伝わったともいわれる。 ぜんざい発祥の地が出雲であるということが、江戸初期の文献、「祇園物語」や「梅村載筆」
(林羅山・・・儒学者)、「雲陽誌」にも記載されている。