ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

『逗子海岸より』櫻間中庸

濱に出て砂にころべは夕さりて
町に歸ればしみじみと、思ひ出ぬるふるさとのこと。


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写真  ねこじ



 夕燒がまつ赤だ 故郷の臺山の夕やけを思ひ出す。いつもは見えない富士の頂の鋸齒が一つ一つくつきりとまつかな空と眞白な頂との境を見せて何とも云へない莊巖さだ。おゝ富士・富士・富士・刻々に消えて行く空のまつ赤な光りは又何といふ淋しさだ、臨終を見つめる心にも似て。

 飴色に輝いて寄せつ返しつしてゐた波が何時の間にか灰色にかわつてゐる。水族館の灯が波に冷たくゆらいでゐる。
 葉山街道にうす紫色のもやが低く逗つてゐて半島の突端は――岩壁にぶつつかつてゐる波のかけらがかすかに見える。
 
 富士にももやが降りてゐるらしく裾の方は全く見えない。雄姿の灰色の空を背負つてどす黒い。そして空との境が何ともつかない色でぼんやりとにじんでゐる。水族館の灯がいよいよ濃い。

 やがて夜濱の小蟹よ安らけき眠りに入れよ