ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

ホラーです(閲覧注意)

Halloween inspired)

 

「耳鼻科には行ってるの?」
朝食のときだ。夫が新聞を見ながら聞いた。

「ううん、行ってない」
「通わないと治らないよ」
妻は返事をしなかった。
もう一ヶ月病院へは行っていない。夫は今ごろ気が付いた。

妻は体の不調が何かと耳に出る。
風邪で熱が出ると耳がふさがったような感じになり、ひどいときは痛みを伴う。
取りあえず内科で風邪の診察を受け、耳の不調を言うと
「それは耳鼻科に行って下さい」
と言われる。
しかし、薬で風邪が治り耳の痛みも治まると、わざわざもう一度、耳鼻科に行く程でもないと思い、放っておいてしまう。
そんなことを何度もくり返したせいか、どうも最近耳の聞こえが悪いようだ。
自分では気が付かず家族に言われ、妻は耳鼻科に行ったのだった。

初めて見る耳鼻咽喉科は陰鬱な場所だった。
暗い待合室、無口な受け付けの女性。そして診察室に通されると、診察台に並べられた金属の器具類が鈍く光っている。その他は何もない殺風景な空間だ。
ふと、これはどこかで見た光景だなと思った。
そこへ白衣を着た医師が入ってきた。
背が高く威圧感がある、無表情で無愛想な感じだ。
「どうしました?」
「今からこの金属を鼻に通しますから」
(うあっ、ホントに冷たい棒が鼻の奥まで入ってきた)
と妻は苦悶の面相で思っていた。
顔が自然とムンクの叫びみたいになる。
いや、「だっふんだ」の顔だ。あれそっくり。
おまけに涙と鼻水が後から出てくる。
「繋がっていないな」
患者の形相にも、特に何の感慨も感じていない様子の医師が機械的に言った。
妻の耳は鼻と上手く通っていないらしい。
暫く通うことになった。

何回目かの診察の時、
医師は毎回同じように金属の棒を鼻の奥まで挿入する。そして空気を通す。

患者はその間、例の顔をして耐えなければならない。何回やっても慣れない。
これじゃあ拷問だ。
涙と鼻水を拭きながら、ようやく吸引を終えて帰ろうとすると、めずらしく医師がまだ診察室にいた。
「ありがとうございました」
医師に頭を下げてドアに向かうと目の前に鏡があった。
そこに医師が映っていた。
医師は患者に見られていることに気が付いていない。
いつも苦虫を噛み潰したような顔の医師が、鏡の中でニンマリと笑っていた。
さも満足げに。

帰りの道すがら、釈然としない気持ちで歩いていた。
(大体が、医療行為というものに人間の尊厳などあったものじゃない。患者は一個の動物に成り果てる。)

と突然、ひらめくものがあった。
妻はどこかで見たことのあるあの診察室の風景が、なんであるかを思い出したのだ。
昔観た映画だ。
未来世紀ブラジル
未来の絶望的な管理社会をアナログっぽく描く、テリー・ギリアム監督の真骨頂。
拷問を職務とする公務員の男が、白衣を着てお面をかぶり、あんな金属の器具を仕事に使っていた……。
 
 
 
 

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妻はそれきり、耳鼻科には行かなくなった。

耳鼻科医は決して笑ってはいけない。少なくとも鏡のある診察室では。