ookumanekoのブログ

言葉を味わう 文学の楽しみ

映画『ねじれた家』の家は『家』ではない?

映画を観て、色々分からない所があったので、原作を読んでみました。

アガサ・クリスティ本人が最高傑作と呼んだそうですが?
果たして?

 

f:id:ookumaneko127:20190530212304j:plain

 

タイトル『ねじれた家』のねじれ具合。
大元の大富豪の生き様。
肝心のそこが、映画では詳しく描かれていないように思ったからです。

(が、原作も詳しくは触れられていないので、ここからは妄想)

イギリスの伝統的な領主、あるいは貴族、(当時の)
そういった、生まれつきの持てる人たちから比べると、
外国人のこの富豪は、裸一貫、なりふり構わず、遠慮がなく、型破りで人ったらし。
その手腕ひとつで無一文から大金持ちにのし上がった。
イギリスの伝統から見ると、ねじれている、曲がっている、ということでしょうか?

しかし、そんな男にも唯一手に入らないものがあった。
それは、病床の妻を真摯に看病していた義姉。
彼女は気高く美しく知性と行動力を兼ね備えた、
男気ある英国の貴婦人。まさに伝統的なイギリスを体現した女性。
つまり、この姉はイギリスを擬人化した人物で、
富豪は言うまでもなく外国人、あるいは外国を表している。
そうすると、『ねじれた家』の『家』とは、英国ということになる。
ひとつ屋根の下に、組み伏せることのできない伝統と、革新と力が捻れた形で同居している。
そしてその不自然な捻れが次第に熱を帯び、悲劇の発端になりうる。

クリスティは、自らの国の状況を、このように評価したんじゃないでしょうか?
最高傑作と自認する理由が、わたしにはこれ以外思いつきませんでした。

こういったことを踏まえて、映画をもう一度見返してみますと、

 

グレン・クローズの、勇ましい美しさ。納得です。
外国人の富豪、という設定だけで、イギリス人には自明のイメージがあるのかもしれません。
この二人を軸に、捻れて戻すことができない人間関係。金と欲。
そして、真犯人。
もっとも弱い所に、捻れの力が加わり、
取り返しのつかない悲劇が起こってしまう。

ほぼ原作に忠実に作られていて、再現性もよく、期待を裏切らない出来でした。
★★★★

 

 

youtu.be